鳴海餅のあゆみ

これからも
「キットヲキニメス」

1875年、ご維新の混乱最中の京都に
始祖/鳴海よねが開いた
三間間口の小さなお店。
それが鳴海餅のスタートでした。
目まぐるしく変化する時代の中、
歴代当主は歴史と伝統を重んじつつ、
自らの「やってみたい、面白そう」を原動力に、
お客様と真摯に向き合い、
「キットヲキニメス」
お餅・お赤飯・お菓子づくりに勤しんで参りました。
先達の想いを胸に、これからも。

1875年
明治8年

始まりは三間間口の小さなお店

ご維新後の明治8年。当時の京都は幕末の混乱と首都移転の影響で人口が激減。「伝統都市の復興」を旗印に市政改革の真っ只中でした。そんな歴史の転換期に始祖/鳴海よねが娘三人と共に三間間口の小さなお店を開いたのが鳴海餅の始まりです。
初代/力松の代には、初の暖簾分け店を開店。
時代の波に合わせて、現在の商いの礎を築きました。

1915年
大正4年

自動餅搗機第一号を完成、
製造の近代化に一石を投じる。

お餅の需要増から少人数で製造する方法を思案していた二代目/鳴海宇之助は、当時一般化し始めていた電力に着目。八幡製作所の協力を得て京都初となる自動餅搗機第一号を完成させ、製造作業の近代化に一石を投じました。また同年には、大正天皇御即位式の膳部として「白むし型押し」のご注文を賜り、謹んでお納め致しました。

1918年
大正7年

「大正の米騒動」
産地との直取引を開始

この年、好景気に沸く日本を米価の高騰が襲い、後に『大正の米騒動』と呼ばれる暴動が全国で発生します。その後、騒動は京都にも波及、供給難から米を扱う菓子業界も打撃を受ける事に。この時、より良質な糯米を求めて佐賀県産「肥前もち」に辿り着き、このご縁から、鳴海餅本店では全ての糯米を産地との直取引によって仕入れを行なっています。

1924年
大正13年

キットヲキニメス、ナルミの栗赤飯

かねてから新商品を思案していた三代目/鳴海力太郎は「栗餅」にヒントを得て、9月18日午前7時「キットヲキニメス ナルミの栗赤飯」として京都で初めて栗赤飯を売り出しました。初日に販売した数量はなんと一石(約150kg)評判が評判を呼び、以降「栗赤飯」は京都の秋の風物詩となりました。

1953年
昭和28年

戦後の復興開店

昭和16年に始まった大東亜戦争の戦局悪化に伴い、国の指導により昭和18年に弊社を含む生菓子店は全て強制廃業となりました。
終戦後すぐは、販売統制の対象外であった白下糖を販売する形で再出発。その後、砂糖・小豆の統制解除を受け、強制廃業から10年、昭和28年3月8日にめでたく復興開店することができました。

1989年
平成元年

おはぎのデコレーション、
スタート

平成が始まってすぐの頃。「おばあちゃんの誕生日に和菓子でケーキを作れませんか?」というお問い合わせが舞い込みます。せっかくならどんな方でも食べられるケーキを目指そうと言うことで「おはぎのデコレーション」が生まれました。口コミで広まり、定番商品になりました。

2010年
平成22年

本店にてイートインをスタート

喫茶店の開業。それは若くして亡くなった四代目/鳴海治の夢でした。当代/鳴海力之輔は長らく作業場となっていた一部を整備改修し、本店で出来立ての味がお楽しみ頂けるようにイートインをスタートしました。以来、出来立ての味を求めて多くの方にご利用いただいております。

2019年
令和元年

「改元」そして次の時代へ

明治より始まった鳴海餅の歩みは、大正・昭和・平成を経て令和を迎えるに至りました。
先達の思いを胸に、これからも「キットヲキニメス」商いを通じてお客様に笑顔をお届けできるよう精進して参る所存です。どうか今後ともご贔屓の程、お願い申し上げます。

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