亥の子餅
 亥の月(10月)の亥の日、亥の刻に餅を食すれば、病にならぬという民族信仰の始源は、景行天皇23年(93年)に起こる。
 猪は多産であるから子孫繁栄を祝うためともいい、10月亥の日に作って贈答した餅である。
 なお古く宮中で10月の亥の日に猪の子を食し召し、その余りを群臣に頒たれたいうが、応神天皇以来、猪の子を餅に変更したのが、この餅の起源といわれる。
 「光台一覧」に「10月亥の日を玄猪とて内侍所御拝あり、備物は赤白黒の子の餅を調へ、葱、紅葉、南天などの物の葉を入れ、大奉書を蝶形に折り包み、内侍所へ供えられしあとを、天子頂戴ある故に縁をもとめて下げおろし、厄除け病よけの頂きものと致すなり。この備を内侍所のオクマとも又は玄猪とも申すなり。」とある。
 徳川時代に、諸大名から幕府に玄猪餅を献じ、登城などの祝儀があり、民間では1日業を休んでこの餅を食べて暮らした風習があった。
 なお、亥の極陰の動物で火を鎮めるというので、この日「こたつ」を開く風習があった。亥の子餅は、各地で民族行事として現在でもよく作られている。
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